ツーリングカーレースに勝つために作られた名車、全てのターボ車はここから始まった…。
BMW 2002ターボ
5DXによる7月の追加車種として登場したBMWの旧型車種、02シリーズの上級モデルである『2002ターボ』は1973年に誕生した車種である。
当時、BMWはポルシェとのツーリングカーレース選手権でしのぎを削ってきたが更なるパワーアップ向上のため、世界で初めて量産車によるターボチャージャーを搭載させており、元々…BMWは航空機でのエンジン開発を行ってきており、このターボの搭載は元からの技術を持って搭載させた決断ともいえる。
搭載ユニットは1,990ccの水冷式の直列4気筒のSOHCのパワーユニットにターボチャージャーを組み込んだモノで、ターボチャージャーは、こちらもポルシェのターボでも採用されているドイツのKKK社製のBLDターボチャージャーを搭載しており、最高出力は170馬力、トルク率は24.5kg-mを発生する怪物ユニットとして進化を遂げ、それらの馬力をしっかり受け止めるために足回りもしっかり強化されれており、フロントブレーキにはベンチレーデット方式のディスクブレーキが採用されている。
マキシのチューニング工程ではインタークーラーの装着作業があるが、実車にはまだインタークーラーの装備が装備されておらず、さらに電子制御によるインジェクションシステムではなく、機械式によるインジェクションシステムであったため、やや不安な部分も多少あったようだ。
フロントスポイラーには、赤とブルーのストライプに文字を逆さまにして『2002 TURBO』と表記されているが、これは前に走っているクルマがアピールするために作られたアイディアであり、また下部左側についている丸型のインテークも、こちらも5DXに最初に登場したM3 CSLのフロントバンパーのアイディアとして採用されているのだからこの辺も面白味がある。
日本にも輸入された経緯もあるが、当時の運輸省(現 国土交通省)から、リベット留めによるオーバーフェンダーに関して厳しく認可が取れなかったため、パテによる穴埋め工程を行って輸入されており、『マルニターボ』というニックネームで愛された。
しかし…マルニターボが待ち受けていたのは厳しい現実であった。
マルニターボが発表された1973年…世界は戦争によるオイルショックを受けてしまい、2002ターボもモータースポーツでの活躍の場を狭まれてしまう形になり、1977年に製造終了となってしまったが、このターボ搭載による自動車文化は後に大きく開花させることとなり、オイルショックが過ぎた80年代の日本では、日産とトヨタによるマシンパワー戦争でターボ車が続々と誕生し、ターボシステムもめまぐるしく進化を遂げ、ターボラグを削減するツインスクロール方式のシングルターボや性能能力の向上にインタークーラー方式のターボが登場、日本でもIHI(石川島播磨重工)やTRUST(トラスト)、HKS等の自動車部品メーカーによるターボチャージャーの製造に活気を与える事となり、現在は低排気量による環境性能も高い『ダウンサイジングターボ』を搭載した車種も登場しており、マルニターボはそんな量産車のターボ車種の原点という事を覚えておきたい。