先週はとんでもない豪雨で見舞われ、流石にMTBで出かけようと思っても走りにいけなかったのですが、昨日は秋の空気が涼しかったので、久々のMTB散策レポートでもやろうと思い、今回は短い距離での散策ですが、今回は久々の本牧周辺に走りに行ってきました。
今回の出発点は京浜東北・根岸線の根岸駅からのスタートですが、昔…家族との本牧市民公園に行った時によくここからバスに乗った記憶が覚えていますけけど、最近は滅多に利用することは無いですね…根岸駅は。(笑)
というわけで、ここから根岸方面に向かいながら、当時の思い出話も交えて紹介したいと思います。
根岸駅を出るといきなり現れる大通りは、この辺は本牧方面や元町、小港方面へ向かうバスが多く走っている区間なのですが、まだバスが通っておらず、JR根岸線も開通する前…横浜市電の根岸線の唯一のルートだったそうで、その話を前回レポートしてきた横浜市電保存館内の当時のニュース映像で知りました。その道の広さは当時の市電が走っていたときの名残じゃないかなと思います。
当時存在していた電停がそのままバス停になったのが、東町、不動下、間門で過去に電停時代からバス停になって3回変わったのが、『根岸七曲下』で、一世代前は『日赤病院前』というバス停留所でしたが、病院が閉鎖されてからは今のバス停の名前に変わってます。
根岸駅からスタートして1.3キロ…本牧方面に向かう『間門(まかど)』という交差点にやってきますが、この辺も横浜市電とは関係のある地だったりします。
かつて、横浜駅から出発した市電は元町、麦田を経由して本牧へ来て、この間門が市電の根岸線開通前はここが終点だったそうです。
ちなみに磯子からやってきた市電はこの交差点を左折して本牧方面へ向かう形になってたそうで、直進の道は後に作られた産業道路となっており、産業道路に向かうバスも本牧方面に向かうバスより一気に本数が減ります。
上には首都高湾岸線、そして右側にはエネオスのコンビナートとまぁ、工業地帯のイメージが大きく印象付けるのですが…この先の道を直進して立野高校の交差点と間門小の交差点の間にあるラーメン屋さんがありまして、昔…よく親父と一緒に夏休みの時、親父の職場のトラックの洗車の手伝いに行った帰りに食べに行った思い出があったっけな。
その店の詳細は後日、お話したいと思います。
その間門の電停があったのは、恐らくこの左の道路の交番の先辺りのバス停が終点で、さらに横浜市電に関する資料を見ると書いてあり、今とは雰囲気が違い山の中で、コンビナート付近がまだ海水浴場だったようですね。
そして、その産業道路を進むと本牧市民公園にやってきます。
本牧で唯一の大きな公園である本牧市民公園は、当時栄区に住んでいた自分にとってはかなり規模的に大きかった公園であったため、スゴク大好きな場所で、ここも昔…親父の職場の人主催による宴会(花見だったかな?)で来ては、周辺にあるD51の広場でよく遊んでいました…今は久良岐公園ですけどね。
後ろの切り立った崖が自分の中で、最もインパクトの強い印象を残してくれたモンです。
そのD51の広場…横浜市内で唯一、保存されてるD51では多少のコンディションがいい方で、塗装も定期的に行なっている感じが強いかなと思いますね。
下の転車台…もといターンテーブルは、かつて旧高島機関区に実際に使用されていた物らしく、閉鎖の同時に本牧市民公園にやってきたモノです。
しかし、あっちこっちを見ると長年の風に晒されてきての老朽化の為か、中に見学できなくなってるのが残念な結果に…。
この辺も早急な処置を願いたいとこですね。
根岸駅から4.4キロ…お次は本牧市民公園からさらに南側にあるかもめ町というとこへやってきました…この辺は工場や倉庫、トラックなどがスゴく行き交っている場所ですね。
実はこの何の変哲も無い道路ですが、実はここ…踏切があった場所で、両側の電柱に普通の信号に『踏切信号』というのが付いていたのです…実は、この左側には…。
神奈川臨海鉄道の横浜本牧駅という貨物ターミナル駅があり、その専用の支線が存在していたのです。
残念ながら、線路と踏切が完全に撤去作業が進んでおり、見る事もできなくなってるのが現状ですね…昔、よくここでディーゼル機関車がここの道を横断する姿を見ましたけど、完全に過去の遺産になってしまいましたか…トホホ。
そして、マイカル本牧ことイオン本牧周辺…あれから20年以上経ったのですが、昔はこの辺…米軍の本牧住宅地の一角でした。
自分も子供の時、親父のクルマで親父の職場へ行った時に変わった風景を見て、「これ…ホントに日本なのか?」と覚えていましたが、89年春に今の形になったという訳ですけど、マイカル時代…その後に交通網の悪さで続々と空き店舗が並び始めた時もスゴく覚えてましたけど…今も交通網の悪さは健在で、相変わらずバスのみ…。
みなとみらい線が本牧の和田山口まで延伸していたら…。
昔、この辺も市電が走っていた区間だったそうで、市電があった頃は根岸や元町に行く人にとっては大変便利だったのではと思います。
マイカル時代、5番街の複合ビルのゲーセンにコナミのスピードキングという大型筐体のレースゲームが入ってて、横浜市内で唯一のスピードキング設置店舗だった事は覚えてました…専門学校時代でしたけど、今はどこへいったのやら…。
というわけで、僅かながらですが本牧編はいかがでしたでしょうか…殆どの話が鉄話ばかりとガッカリした方も多いはずかもしれませんが、またの機会があれば例のラーメン屋さんと横浜港シンボルタワーとか足を運んでみようかなと思っております。
あれから大分、周辺も多少ながら変わっちゃいました。
昔から自分も『本牧=倉庫や工場、コンテナーターミナルの町』というイメージが強かったかなと、暇があれば、根岸の山の方にも散策してみたいと思います。