日産で唯一の90年代最後のミドルサイズ、2ドアセダン!!
日産 シルビア スペックR S15型
日産のミドルサイズの車種といえば、シルビアやワンエイティ、サニーやパルサーといった名車が多く存在していたが、最もミドルサイズのスポーツクーペセダンといえば、このシルビアである。
マキシシリーズに参戦しているシルビアは1999年に登場した7代目で、シルビアシリーズで最後のモデルとなってしまったが、現在でもドリフト車種としては人気の高い車種の一つ。
先代の6代目であったS14型の不評の反省を得て、先代は3ナンバーサイズから5代目のS13型と同様の5ナンバーサイズに戻し、さらにスポーツ色を強めており、同時にエアロバージョンも発売された。
エンジンは、S13の後期型のPS13型から採用された2リッター直列4気筒のDOHCインタークーラーターボ方式の『SR20DET型』をそのまま継続だが、S14型で採用したボールベアリング方式のターボチャージャーをそのまま採用しており、最高出力は先代S14型より30馬力アップの250馬力まで引き上げられ、さらにこのシルビアで最初で最後である6速マニュアルが初採用となった。
足回りはフロントはマルチリンク、リアはストラットで、前後ともコイルタイプを採用された。
シルビアは1965年に初代CSP311型から登場したが、当時は今みたいな高性能とはいえずに不評を買ってしまい、554台のみ生産終了となった。
その後、1975年のS10型が発売され、その後からシルビアの形式名の頭文字に『S』が採用され、この時からあの180SXの『SX』が初めて採用され、『ダットサン200SX(ツーハンドレット・エスエックス)』として輸出されるようになり、その後の3代目のS110型からシルビアに初のターボが搭載されるようになり、それが今日のシルビアのターボグレードである『K's』や『スペックR』へと受け継がれていく事になるのだ。
特に一番人気を博したのが1988年に登場し、『ART FORCE SILVIA』のCMキャッチコピーと共に登場した5代目シルビア S13型からで、特にターボグレードのK'sは走り好きのユーザーから支持を受け、峠ではドリフトやチューニングマシンとして大変人気を得ており、その後のシルビアによるチューニングマシンとして大活躍した。
その後、S14型では前期型の人気で賛否両論が起きた事はシルビアファンとして有名な話である。
しかし、シルビアは2002年の排気ガス規制にクリアできず、8月を以て生産終了となったが、現在でも各メーカーから強化パーツ部品類が継続販売されている。
シルビアでのモータースポーツの活躍では、やはりD1グランプリのイメージが大きく印象残っている方も少なくないが、初めてシルビアでのモータースポーツでの活躍は1980年のS110型シルビアで、星野一義がマカオグランプリのスーパーサルーンクラスでフォーミュラシルエット仕様で、5位という好成績を残したのが最初となる。
その後、1983年にWRCのグループB参戦目的で開発された『240RS』が初めて参戦し、86年までに最高成績は2位と輝かしい成績を残した。
S13に入ってからは、ワンメイクレースでの参戦であったが、その後の93年からはN2仕様に大型のエアロパーツを装備したS13で参戦、そして全日本GT選手権(後のSUPER GT)に切り替わり、シルビアはGT300クラスのカテゴリーでの参戦し、S14型では1997年シーズンにて、MAX織戸こと織戸 学選手と福山選手によるRS☆R仕様のシルビアで、チームタイトルを獲得、S15になってからは2001年シーズンのGT300にて、チームダイシン仕様のS15がチームとドライバーズタイトルを貢献した。
そして、D1グランプリでは初年度の2001年シーズンにて、谷口信輝選手が初優勝を飾り、その後の2004年では三木竜二選手、2005年では風間靖幸選手、2007年シーズンでは川畑真人選手が乗るマシンもS15型で優勝しており、そのなかでも2009年~2011年シーズンでは今村陽一選手が連続優勝しており、特にD1において、S15は最もチューニングベースが広いマシンとして採用される事はいうまでも無い。
しかし、S15以降からシルビアシリーズの後続車種が不透明であり、出てくるのかは現時点で不明となっている。
●日産シルビア スペックR CM動画