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Channel: M@XIMUM CURE LIVE!(マキシマム・キュアライブ)
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マキシ参戦車種…第48回『トヨタ・2000GT』

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スープラ、レクサスLF-A…全てトヨタの大型スポーツカーの歴史はこのクルマから始まった…。
トヨタ・2000GT
 
メジャーアップデート4の先行獲得キャンペーンと第2弾して登場したトヨタ2000GTは、1967年に登場したトヨタ初の大型スポーツカーとして登場し、今でも伝説の1台ともいえる名車であるが、最初にトヨタ初のスポーツカーとして登場したのが、1962年に登場のヨタハチこと『トヨタ・スポーツ800』が最初の皮切りで、2000GTはその第2弾として登場し、2リッターで当時の大排気量であるが、それが後のスープラへと受け継がれている。
エンジンは2リッターの直列6気筒DOHCの『3M型』で、最高出力は150馬力、足回りは前後とも4輪ダブルウィッシュボーンのコイルスプリング式を採用している。
 
搭載ユニット『3M型』はトヨタではなく、あのバイクや楽器メーカーのヤマハがエンジン担当したという今になればかなり変り種な指向であるが、当時のヤマハはエンジン技術面に関してかなり高かったため、トヨタとヤマハによる協力によって生まれ、同時にヤマハの楽器材料の良質な木材を使っていた。
そのため、ステアリングとダッシュボードに使われていた事により、より一層と高級感のあるエクステリアをかもし出す事に成功したのだ。
 
 
しかし、2000GTの販売価格は237万円…今ではいいクルマでもこの程度の値段は当たり前であるが、当時としては非常に高い値段で、高級車でクラウン2台、大衆車でもカローラ6台ぐらい買えるぐらいの値段であり、現代の価格でなおすと、今の日産GT-Rのspec-Vが買える近い価格で、当時の大卒の初任給が26,000円であったため、当時は高嶺の花でもあった。
 
実はこの2000GT、アメリカのSCCAのクラスCシリーズに参戦したのだが、最終順位は4位とそれなりの大健闘を果たし、さらに映画の世界でも大活躍し、同年に公開された人気スパイ映画『007は二度死ぬ』で、唯一の日本車でのボンドカーとして採用された事で映画ファンでも大変有名である。
 
国内のゲームの世界では、有名なタイトルとしてSCEのPSソフト『グランツーリスモ2』から初登場しているが、アーケードゲームでのトヨタ・2000GTでは、このマキシ4が初となる。

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